大人になりました – “貧困”について考える今日このごろ

雑記 | 月曜日 6月 15 2009 2:19 AM | コメント (0) Tags:

未来を考えると、IT革命に興味が沸く。
ITの影響について考えると、生産性向上とグローバリゼーションの裏側の、貧困問題にも関心がいく。
貧困問題は政治経済の問題。
このあたりが最近の関心事です。

今日は「現代の貧困」という、貧困側に立った本を読みました。
「貧困は固定的であり、個人の問題というより社会構造の問題である。
そして貧困をあってはならない状況と認識し、救済しなくてはいけない」という旨が書かれています。

固定的な貧困とは何かというと

そもそも資産や学歴などは、親から子へと“贈与”されるものだともいえる。

というように、生まれつき有利な人と不利な人がいるということです。
極端な言い方をすれば「生まれつき幸福になる権利のない人がいる」のが現状です。
私もそれは望ましくないと考えます。
機会の完全平等などとは言いませんが、最低限(日本でいえば生活保護を受けながら大学に通えるレベル)は担保できる社会でありたいです。
具体的施策としては、相続税を高くするとか、大学進学を権利として認める、など。
また、税制の抜け道を利用して不当な利益を貪るなどの特権階級を無くしたい。
そこで法人税と所得税を安くし、誰でも払わざるを得ない消費税を上げれば良いと思います。

上にあげた範囲内での貧困対策は、税制的に日本国内で企業活動をするメリットを高めることにもなります。
ただそれを超えて全ての貧困を救うことは、悪平等とは言わないまでも日本国の競争力を削ぎます。
結果として、貧困対策どころか国全体がジリ貧になります。

それを避けるとなると、例えば機会があっても活かせない人、つまりIT化社会についていけないような人はやはり貧困にならざるを得ません。
彼らは元々の能力がないとすると、「生まれつき幸福になる権利のない人」は確かに存在せざるを得ないということになります。
そこは国の競争力とのトレードオフだとすると、バランスの問題だと思います。

結局グローバルな競争力を担保しつつ、固定的な貧困を打破するには、生まれついての不平等を是正するとか、不当な利益を貪る人間を排除するしかないということです。
じゃあ誰が不当な利益を、ってことになると、簡保の宿近辺のきな臭い話にも繋がります。
特定の利権を代表する人が当選するような政治とか選挙に構造にも繋がります。

でも私も選挙行かないですからね。
合理的に考えて、自分のたった一票を国政に影響させるよりは、正直いって昼寝の方が重要だったりします。
「まずは君が選挙に行くことから始めろ」という話もあり、それはそれで間違いではないんでしょうけど、別に大した解決にはなってないと思います。

最近はそうやって答えの出ないような問題についてよく考えます。
答えが出ないことを考えるのは当たり前かも知れませんが、私にとってはそうでもないです。

昔、哲学が大好きでした。
倫理学の根本を相対化する、みたいな原理的なことにしか興味がなかったんですね。
哲学に比べれば政治なんて答えがないし、ポジショントーク同士の水掛け論だし邪道だ、と。
論争ができないぐらい、筋が通った美しい議論が好きでした。

尊敬する哲学者、永井均さんも同じように子供の頃の自分を語っていました。
でも「最近は哲学的問題を考えることが自然ではなくなって、普通の人と同じように政治とか日常の問題に怒ったり意見を持ったりする」とも言ってました。
そういうことなんですね。
私も大人になりつつあるようです。